2011/08/28

2011年度の明新館高校(上山市)の文化祭、「麗明祭」

このエントリーをはてなブックマークに追加
Bookmark this on Livedoor Clip
Bookmark this on Yahoo Bookmark
Share on FriendFeed
Bookmark this on FC2 Bookmark
Share on Facebook

■文化祭のYouTube映像はこちらからどうぞ。プロレスはおすすめ!

学校の由来や校訓や沿革は明新館高校のサイトから以下に紹介させていただきます。

本校は、平成5年に旧上山高校と旧上山農業高校が統合、蔵王山麓に開校して今年度で18年目をむかえるまだ成長し続けている高校です。
広大なグラウンドには野球場、サッカー場、ソフトボール場、1周400mの陸上競技場他、6面のテニスコートが設置され、特別教室、農業実習施設、商業演習施設もよく整備され、恵まれた学習環境が整っています。
その中で900名余りの生徒と100名近い教職員が日々活発な教育活動を行っている県内最大規模の学校です。
普通科(文科コース・理工科コース・国際教養コース)、食料生産科(施設園芸コース・食品製造コース)、情報経営科の3学科5コースが編制され、特別活動はもちろん地域貢献活動への参加も積極的であり、スケールの大きな学校でたくさんの出会いと多様な体験が可能です。校訓『日日新、又日新』のもと、「品性を身につけ、個性を伸ばしたくましく生きる生徒の育成」を目指しています。

■上山明新館高校のサイトはこちらからどうぞ!

—————————————————————-

上山藩校 明新館について

文化6年(1809)藩主松平信行は、儒学を重んじ家臣増戸竹兵衛に命じて、廣福寺に学問所を設立させ、これを天輔館と呼んだ。
講師に招聘された武田孫兵衛は、高畠城主織田氏の家臣で、伊藤仁斎、萩生徂徠等の学説を加味した上山藩独特の校風を樹立した。
その後、天保11年(1840)9月、藩主松平信賽は、先代に続いて藩校の充実を図り、朱子学派の新鋭、米沢藩士神保蘭室を新たに招き、この地に独立学舎を新築し、館名を明新館と改めた。
藩士の師弟に限らず、一般庶民の希望者の入学をも許可する斬新な教育方法で、国家的観念を基底とした卓抜な教育理念に従い、明治4年(1871)まで教育がこの地で実施された。
歴代の講師陣には、五十嵐于拙、服部豊山、毛利重華、金子清邦、栗山道紹、山田政苗等が著名である。
史跡碑は、明新館の廃校百余年を記念し、橘家の御好意をいただいて設立した。
(昭和53年3月:上山市)

—————————————————————-

なお、余話として、「明新館支館」というのが新潟県長岡市三島地域にある。
その由緒を以下に紹介したい。

明新館とは上山藩(現山形県上山市)の藩校で、明新館支館は上山藩第九代藩主・松平信庸(のぶつね)公の命により、明新館に準じた文武館として、当時上山藩領地だった七日市に慶応二年(1866年)に開校しました。その建設には、三島の大庄屋・山田権左衛門が尽力したといわれています。
 明新館支館では、藩校としてはその頃例のない農民の教育も行われ、その後、「日吉小学校」に発展し現在にいたっています。

■新潟県長岡市三島のサイトはこちらからどうぞ。



このサイトに関連するつぶやき [46]:

すべてのつぶやきを表示する...

»この記事についてつぶやく 

最新の情報

»一覧

人・仕事人

»一覧


Go Top
Twitter