2011/10/01

【ビデオレター】「葉山」(1,462m)からの眺望

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まだ紅葉には早かったのですが、好天につられて、登ってみました。
というのも、この葉山という山塊は、山形県に居住した者にとっては、とにかく眼に入る気になる山並みなのです。

山形空港のすぐ西側に屏風のように連なり、背後の月山の門番でもあるかのような存在の山でもあるのです。
蔵王山でいえば竜山がそうでしょうか。
目立たないようで、とにかく気になる山なのです。


(写真は、寒河江市内から眺めた葉山の連山)

【葉山についてのまとめ】
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葉山は、山形盆地の北西大蔵村、村山市、寒河江市の境界に位置し、最上川、寒河江川、銅山川に囲まれ、村山、最上盆地を望む出羽山地に属する山であり、月山から東方約17Kmの距離にある。
主峰葉山(1462m)を中心とし、その北ないし東側に古御室山(1360m)、鏡山(1097m)、黒崎山(791m)、大高根山(543m)の5山が連なっている。
山頂近くまでブナ林が分布し、県の天然記念物に指定されているトガクシショウマをはじめ、チングルマ、ハクサンシャクナゲ等多くの高山植物、さらに動物ではタヌキ、テン、ツキノワグマ、ハクビシンなどが生息し、目にすることができる。
 また、葉山から眺める雄大な自然景観は素晴らしく、雲海のかなたにうかぶ朝日・蔵王・鳥海をはじめ、目前にせまる月山の眺望は圧巻である。

山頂にある葉山神社は古くから奥の院として、葉山修験と慈恩寺修験の中心であった。 江戸時代初め、慈恩寺修験は、峰を分けて三合山を奥の院としている。

(上記は、大蔵村「葉山登山」サイトより抜粋させていただきました。)

■詳しくは以下サイトをご覧下さい。

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その葉山に、私も初めて登ってきました。
とにかく体力に自信がないので、いつものことながら、最短距離をネットで探し、月山の入口にあたる西川町の国道112号線から、県道458号に入り、途中「十部一峠」から林道を車で走り、黒盛という場所から登ることにしました。

情報によると、黒盛から頂上までは徒歩1時間とあります。
私は、標高1,462メートルということから、3時間は覚悟していたのです。
実際、私の体力と脚力でも、1時間20分程度で登れました。
本当に、ありがたい林道ではありました。
しかし、林道はかなり細く、全部砂利道で、運転に自信の無い方は、覚悟して行って下さい。
また、黒盛の登り口も、車が5~6台程度しか停まれません。グループで行くときは、なるべく乗り合いで行くようにしたほうがベターです。

ブナ林は、458号線を走っている間にも見られます。そう道路沿いにブナ林があるのです。
この458号線は、西川町から大蔵村へ抜ける県道ですが、この道路ですらところどころが砂利道であり、細く狭い道路も随所にあります。また、季節や天候によっては、通行止めがありますので、行く前には情報を得てから出かけてください。

実は、長らく山形県に住まいながら、私も初めて通りました。
そして、西川町の112号線「宮内」地区から、今回の登山の入口である「十部一峠」までは、実に20キロもあるのです。
そこから黒盛の林道も、5キロ以上もあります。
実に山の奥の奥という場所でした。その分、登山に要する時間が短縮できたのですから、本当にありがたいという登り口でした。

そうそう、この458号線を走っていると、15キロも走った辺りに、道路沿いに、石塔や墓石が群をなしている箇所がありました。二十個以上はあるでしょうか。

私はこんな山奥に何で?という思いから、車から降りてその石塔に刻まれた文字を読んでみました。「明治二十・・年・・」そこでやっと墓石というのが分かった次第でした。
不思議な思いでさらに車を走らせると、間もなく左側に立派な看板が現れたのでした。

「幸生銅山回想」と大きな文字が眼に入りました。
それも、私の興味を抱かせるような古い写真も載っているのでした。
さっそく車を寄せ、山へ登るのも忘れて眼を通したものです。
日本有数の銅山が、ここにあったことも初めて知ったことでした。
それにしても、これだけの集落が、山奥のこのような場所にあったことに驚くのでした。
それで、先ほどの石塔の群れも理解ができたのです。

日本の歴史の勉強にもなりますので、この看板の内容を以下に記載いたします。

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『幸生銅山回想』

【かつてこの地は、日本有数の銅の産地として栄えました。】
江戸時代初めごろに発見された幸生(さちゅう)銅山は、北隣にある永松銅山とともに国内有数の産出量を誇る銅山として、地域のみならず日本の社会経済に大きな影響を与えました。
経営の主体は、住友家など商人の請負、幕府や藩の直営、村方の名主などの請負などと変わりましたが、明治時代になると、永松銅山とともに古川鉱業の経営となり、大戦のたびに産出量を増やして国内産業を支える重要な鉱山となりました。
しかし、第二次世界大戦後は鉱脈の枯渇や貿易の自由化の影響により経営悪化、ついに昭和36年4月、廃山となりました。
この看板は、寒河江市幸生区が寒河江市教育委員会の「歴史文化ふるさと回帰事業」の補助金と木村吉蔵氏の寄付金を受け、栗田幸助氏の資料に基づき設置したものです。

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【幸生銅山の歩み】

1682年(天和2年) 幸生村の名主才三郎によって発見される。
          大阪商人泉屋吉左エ門(住友家)によって開坑、その後廃山
1792年(寛政4年) 代官池田仙九郎検分
1794年(寛政6年) 幸生村の利七と長次郎が大切沢周辺に良質な鉱脈発見
          幕府直轄の銅山として繁栄
1809年(文化6年) 池田仙九郎再び代官となる。水抜き工事完成
1826年(文政9年) 銅山役所には柴橋代官所の役人4名がつとめる
          地元の銅山役人は木村右内、永井七右衛門、富樫規道
1835年(天保6年) 不振により休山
1837年(天保8年) 代官添田市之丞着任、請負制で開山。佐藤清助が総代となる
1858年(安政5年) 代官林伊太郎が出銅奨励し、生産高増
1863年(文久3年) 代官新見蠼蔵が廃山命令
1868年(慶応2年) 名主の個人経営で再開

1874年(明治7年) 新政府の為替方を務めた金融資本家小野組の支配下で稼業
          しかし、小野組はまもなく倒産
1875年(明治8年) 幸生銅山の仮坑区券が伊藤博文より下付される
1876年(明治9年) 旧高松藩松平公爵家に払い下げ、古河市兵衛が委託経営
1891年(明治24年) 古河鉱業が幸生・永松両銅山を単独所有
          古河市兵衛は日本一の銅山王となる
1893年(明治26年) 幸生・永松の両銅山で精錬を行う
1895年(明治28年) 幸生新道(幸生銅山~木戸口)を開く大事業に着手
1897年(明治30年) 幸生銅山の精錬を廃止し、永松だけで精錬するようになる
          幸生銅山は永松銅山の「支山」となる
1911年(明治44年) 永松銅山と幸生銅山の間に玉村式索道(鉄索)を架設総延長5.1km
          幸生銅山の鉱石を永松銅山に送り粗鉱に精錬する
1917年(大正6年) 幸生と白岩の間に索道を架設(総延長11.6km)
          白岩・宮内に鉱毒沈殿池が完成
1926年(大正15年) 三山電鉄の開通により、鉱石を足尾銅山(栃木県)に運び精錬
1931年(昭和6年) 幸生銅山学校は、白岩小学校の「幸生銅山分校」となる
1937年(昭和12年) 金政吉と城恭吉が「幸生銅山の近くに金城鉱山を開坑
1951年(昭和26年) 永松・幸生両銅山の閉山発表。人員の配置転換をはじめる
1961年(昭和36年) 古河鉱業が永松・幸生両銅山を閉山

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葉山登山の説明に戻ります。
今回は、「十部一峠コース」から登りはじめます。
「黒盛」への林道入口にも「葉山登山入口」の案内板がありますので、ここから5キロちょいの林道へ入ります。

砂利道で、狭いので、途中の写真撮影もできず、運転に集中しておりましたので、途中の写真はありません。
とにかく対向車のないことを祈りながらの運転でした。

この5キロは果てしなく遠く感じたものです。
「葉山十部一登山口」の大きな案内板が見えたときはとにかく安心しました。
林道の最終地点が行き止まりで、そこに車を停めるわけですが、とにかく方向転換も難しいようなスペースしかありません。他の車を考えると、6台分くらいのスペースしかありませんので、ご注意ください。

奥まったところに登山口があります。
いったん沢にくだり、そこから尾根に向かって登ります。
とにかくブナ林の中を登るので、急峻な坂道ですが、気持ちのいい空気です。

「奥の院に至る」、「マット沼」、「しゃくなげ平」などの道標があります。
そこを過ぎると平坦な道が続きます。
低木の道を歩くと急に、目の前にまんじゅうのような葉山の山頂が現れます。
二つ並んで現れるのですが、左が葉山です。右のは古御室山(1360m)でしょうか。

湿原保護のための渡り板が「トンボ沼」にあり、そこを過ぎると、「どうたん坂」を通って頂上へ至ります。


その「どうたん坂」から周囲を見回してみて、その眺望に驚きの声を上げました。
背後には、すぐそこに月山の全体が見渡せました。

北の奥には、鳥海山が見えます。

葉山頂上には、奥の院の「白磐神社」の社がありました。
東側には赤い鳥居もあり、社の脇にはなぜか「鐘」がありました。
この鐘の音も青い空に吸い込まれるような、そんな気持ちのいい音でした。

社の裏からは、鳥海山から蔵王連峰が望め、そこで私は持参したおにぎりを食べました。

とにかく、今回の葉山登山では、大きな収穫がありました。

■【ビデオレター:秋の葉山へ登る】は以下でご覧ください。

■葉山のGoogleマップ

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