2012/07/24

【ビデオレター】山形市を救った山?…「南蔵王を歩く」

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(写真は、南屏風岳から眺めた、南蔵王の山肌と、刈田岳と蔵王のお釜方面。)

蔵王山のお釜、その刈田岳やエコーラインより南に広がる南蔵王という山岳地帯は、最近人気の登山コースとなっています。


(写真は、南蔵王中央部に広がる芝草平の花畑地帯)

しかし、その南端に位置する不忘山(1705m)にある「不忘の碑」は、意外と知られていません。または見過ごされている慰霊碑なのです。


(写真は、「不忘山」1705m)

しかし、私が南蔵王の不忘山(1705m)に登り、その慰霊碑を初めて眼にしたときには、あのB29が墜落?…という驚きがありました。


(写真は、雲海を見下ろす不忘山山頂。右下には、遠く長老湖が見えます。)

3月10日の大空襲では、東北各地も被害があり、被害に遭ってない県は、山形県と秋田県の2県だけでした。
ちなみに、仙台市では、約40%の家屋を消失し、1066人が亡くなっています。

不忘山に墜落した3機は、山形市や秋田市へ爆撃に向かおうとしていたと聞いても、なんら不思議ではありません。もしそうだとしたら、少なくとも、山形市民を戦火から救った山ということもいえるわけですね。

その石碑には、以下の文章が記されています。

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1945年3月10日 太平洋戦争で日本に襲来したアメリカ空軍B29が3機、この山中に墜落し、その乗組員34名全員が死亡しました。ひどい吹雪の夜のことでありました。今この碑を建てて、戦争のため異境の山中に果てたアメリカ空軍将兵の霊を慰め、あわせて人類永遠の平和を祈ります。
 「わが父の家には住み家多し」(ヨハネ伝第14章第2節)
                 1961年9月 不忘会建立

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※私は、このB29の墜落について、約30年前に麓の集落に取材を行っています。そして、そのときのことを一作品として、何か書いてみようと思いました。
もし関心のある方はこちらも覗いて見てください
これは、作品というよりも、忘れてはいけない記録といえるかもしれません。
ただ今回、石碑の碑文を再度確認するために、再度南蔵王を歩いてきました。


(写真は、南屏風岳付近から、遠くに、上山市方面を眺め下ろす。)
そしてここに、ビデオレターとして掲載できることを、嬉しく思います。



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